小野寺 衆
隙間の美学
花の仕事を志してから様々な作品や写真集を見る機会があったが、その中で衝撃を覚えた作品がいくつかある。
その一つが、生け花草月流初代家元・使河原蒼風の「虚像」という作品で、1本の太い木を上から下にかけて二つに裂いただけのとてもシンプルな作りだが、強烈なインパクトを与える作品である。
2つに割られた木の隙間は、まるで異空間への扉のように、さも向こう側に何かあるのかもと錯覚させ、何もない空間に何か不思議なエネルギーを感じさせてくれる。
これは生け花というより前衛的な現代アートと呼ぶ方が合っていると思うが、生け花の世界には、間を意図的に作り、何もないところに何かを感じさせる隙間の美学がある。
表現方法は違うが、日本庭園にも庭師の自然の捉え方が隙間から読み取れる。自然をそのまま切り取ってきたかのような日本の庭だが、実は、決して自然の再現ではない。庭師がある風景を見て、感じたことを石や木で表現し、芸術・造形を作り上げている。ちりばめられた隙間には、隠れた先人のメッセージがたくさん込められている。
フランス・パリに渡ってから勤めていたアトリエのボス、カトリーヌ・ミュラーは、パリのフラワーデザイナーの中では希有な存在だった。
天才的な花の色合わせと独自の理論で作りあげるブーケ(花束)は、絵画のように美しく彼女にしかできない世界を築いていた。
彼女のデザインの特徴は、草原から摘み取ってきたようなナチュラルなテイストと最新のパリコレの色使いを融合させること。そして、なによりも「隙間」にあった。
元々西洋フラワーデザイナーには隙間を作ると言う発想自体がなく、むしろ、隙間があったら埋めろと言うのが西洋フラワーデザインのベースとなっている、それが日本に伝わって今日のフラワーデザインの基礎ができていのだが、彼女の場合、花を組むなかで意図的に形を崩して隙間を作っていく。生け花のように作り上げてから必要のない枝や、花を切り落としていくやり方とは性質が違う。
彼女は、「ブーケの中を風が通る様に、草原からそのまま持ってきたように作るのよ」と、アドバイスをくれた。
山や草原にある自然を再現するのは容易ではなく、花屋の店頭に並ぶシンメトリーで、一般的なまん丸のブーケとは全く考え方も作り方も大きく違い、難易度が高い。
ただし彼女は意図的に作った隙間にまた花を入れたりする。隙間自体に意味を持たせるのではなく、あくまで目に見えるものに思いを託すのである。
同じ隙間を作るにしても日本人と西洋人の捉え方の違いがよくわかる。
隙間を作るのは、意図的であり、何もないように見えるがそこに作者の考え方やメッセージが隠されている。
見えないのだから正解もない、自由に感じればいいだけのこと。
それが心地よかったりする。
世界の中でも、言葉のないメッセージを作り伝えることのできる民族や文化は、希少だろう。
世界に誇れる日本人の美意識は、意外に隙間にあるのかもしれない。
小野寺 衆
フラワーアーティスト
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