長井 利尚 ながい としひさ
鉄道カメラマン
1976年生まれ
群馬県高崎市出身
経歴
1976年 | 11月 | 二階から国鉄上越線、信越本線、上越新幹線(建設中)が見える家に住むようになり、列車の音が子守唄になる。 |
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1979年 | 9月 | 神田須田町にあった交通博物館に通い始め、年間4回程度のリピーターになる。 |
1980年 | 4月 | 保育園に登園前の早朝、祖父と高崎駅に年間 200 回ペースで通い始める。 |
1893年 | 5月 | 小学校入学記念に「国鉄監修 交通公社の時刻表」(電話帳のように分厚い時刻表)を母に買ってもらい、全頁読破。鉄道利用の家族旅行は、自分で計画を立てるようになる。 |
1987年 | 4月 | 祖父がキヤノン関係者に買わされた一眼レフ「EOS650」で、本格的に写真撮影開始。 |
1991年 | 6月 | 「学研 CAPA」に、雨の中で撮ったブルートレインの写真が掲載される。商業誌初掲載。 |
1994年 | 6月 | 「鉄道ダイヤ情報7月号」(No.123)巻頭カラーグラフに EF63 の写真が掲載(4 頁)。 |
1995年 | 3月 | 「Rail Magazine140 号」巻頭カラーグラフに見開きで写真掲載(24-25 頁)。 |
4月 | 大学入学と同時に、碓氷峠に年 100 日のペースで撮影に通いつめる(1997 年 9 月末廃止)。 | |
1996年 | 12月 | 「Rail Magazine161 号」表紙に写真掲載(競争率約 1000 倍)。 |
1997年 | 4月 | 「Rail Magazine165 号」裏表紙広告(PENTAX645)に写真および文章提供。 |
7月 | 「Rail Magazine168 号」巻頭カラーグラフに写真掲載(15 頁)。 | |
8月 | 「Rail Magazine169 号」表紙および巻頭カラーグラフに見開き(18-19 頁)で写真掲載。 | |
2012年 | 2月 | 「鉄道テーマ検定公式ガイドブック 1〔新幹線〕」に写真掲載(54 頁)。 |
2014年 | 8月 | 「Rail Magazine 373 号」「今日の一枚」(7 月 30 日)に写真掲載(129 頁)。 |
9月 | 「Rail Magazine 374 号」「JR 東日本の 115 系電車について」に写真掲載(83 頁)。 |
主な著書
<写真集「追憶」>
追憶: JR信越本線 横川ー軽井沢間(碓氷峠)廃止20周年記念写真集 Kindle版
1997年9月30日、JR信越本線 横川ー軽井沢間11.2kmは、長野新幹線(現 北陸新幹線)開業に伴い、
鉄道開通から104年6ヵ月の歴史に幕を下ろした。標高差553m、66.7‰という、幹線鉄道としては
世界でも稀な急勾配を克服するため、当初はラックレールとピニオンギアを組み合わせたアプト式が用いられていた。
1963年7月15日からは、新たに碓氷峠専用に開発されたEF63形電気機関車(ロクサン)による粘着運転が開始された。
鉄道の街 高崎に生まれ育った私は、独特のブロワー音を放ちながら急勾配を駆け上がる
ロクサンのド迫力に魅了された。廃線になった大学3年の秋までは、碓氷峠に足繁く通った。
夜、寝る前には、西の空を眺めて翌日の空模様を予想した。撮影に良さそうな日には、未明に起床して、
高崎から西に向かった。碓氷峠で朝一番の列車を撮影して高崎に戻り、撮影済みのリバーサルフィルムを
持って高崎から新幹線に乗り、都心のプロラボに現像を依頼していた(高崎から都心の大学まで、4年間新幹線通学していた)。
大学の講義やゼミが終わった後、プロラボで現像済みフィルムを受け取り、夜はまた碓氷峠でバルブ撮影をした日もあった。
私の青春の思い出の詰まった横川ー軽井沢間が廃線となり、今年(2017年)ではや20年。この間に、
横川には「碓氷峠鉄道文化むら」ができ、廃墟と化していた旧丸山変電所が綺麗に復元され、
アプト式時代の廃線跡は遊歩道として整備された。ロクサンが、今なお「文化むら」で動態保存されているのは嬉しい限りだ。
そして、碓氷峠でロクサンと協調運転するために開発された189系電車のうち、
6両編成4本がいまだに現役であることは驚異的と思う。
横川ー軽井沢間廃止20周年を記念して、ロクサンの現役時代の写真を中心に、近年の189系などの写真まで、
私が撮り溜めた写真を纏めてみた。「横軽」現役時代を知らない世代の読者にも、
碓氷峠が熱かった時代の雰囲気を感じていただければ幸いである。
<115系高崎車 最後の日々>